神戸地方裁判所 昭和29年(ワ)358号 判決 1955年12月26日
原告 遠藤忠剛 外八〇名
被告 川崎重工業株式会社
主文
原告中村隆三、同須藤実、同村上文男、同日名克己、同谷口清治、同宮崎伍郎、同仲田俊明、同田中利治、同矢野笹雄、同西岡良太郎等の請求はいずれも棄却する。
被告が昭和二五年一〇月一四日原告遠藤等七一名の原告等に対してなした解雇の意思表示はいずれも無効であることを確認する。
原告中村、同須藤、同村上、同日名、同谷口、同宮崎、同仲田、同田中、同矢野、同西岡と被告との間の訴訟費用は右各原告等の負担としその余の原告等七一名と被告との間の訴訟費用は全部被告の負担とする。
事実
原告等訴訟代理人は被告が昭和二五年一〇月一四日原告等に対してなした解雇の意思表示は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として原告等はいずれも被告の経営する川崎造船工場の従業員であるが被告は昭和二五年一〇月一四日原告等に対して単に原告等が共産党員又はその同調者であるとの理由だけでいずれも破壊的なものを持つ持ち主であり会社の存立を危くし又は会社の社会的機能の発揮を阻害するものとして解雇の意思表示をなした。しかしながら単に右の如き理由による解雇は不当で無効なものであるからその確認を求めるため本訴請求に及んだと述べ、本件解雇に至つた経過及び解雇の無効についての法律上の主張として別紙第一乃至第四準備書面のとおり又仮処分を申請した者の氏名申請の日時退職願を提出した者の氏名提出年月日退職金受領の年月日等について別紙一覧表のとおりと述べた。(立証省略)
被告訴訟代理人は原告等の請求はいずれもこれを棄却するとの判決を求め、原告等がいずれも被告会社の従業員であつたことは争わないが、被告は昭和二五年一〇月従業員の一部整理をなすの止むなき事情に立至つたので同月一四日附を以て原告等を含む一部従業員(総数約一二〇名)に対し一〇月一九日までに辞任届を提出し円満限職せられるよう勧告し円満退職した人に対しては特に通常の退職金の外に相当多額の餞別金を与へる旨通知し円満退職届を提出しないものには一〇月二〇日附を以て解雇する旨通知したもので、原告遠藤忠剛外一四名を除くその余の原告等はいずれも退職願を提出して円満退職したもので原告等主張のように一方的に解雇したものではない。原告遠藤等一五名も被告が供託した退職金解雇予告手当金等をその後においていずれも受領しているからこれも解雇の申入に応じたものというべく一方的な解雇ではない。仮に本件が被告の一方的になした解雇としてもその解雇は何等不当のものではなく有効であるから原告等の請求はいずれも失当であると述べ、
被告が本件解雇をなすに至つた事情、解雇の整理基準、原告等特に退職届を提出しなかつた原告遠藤等一五名についての解雇の事由、整理基準に該当する具体的事実、本件解雇及び合意解約の有効なることについての就業規則等に関連しての法律上の主張として別紙第一乃至第七準備書面のとおりと述べた。(立証省略)
理由
原告等がいずれも被告会社の従業員であつたことは当事者間に争がない。
原告等は被告のなした昭和二五年一〇月一四日の解雇の意思表示の効力を争い被告は円満退職で一方的解雇ではないと主張するので先づその点について判断する。
成立に争ない乙第一、二号証、証人下堂園辰雄(第一回)中江範親(第一回)の各証言によつて真正に成立したものを認める乙第三号証に右両証人坂口干雄、同細田平吉の各証言を綜合すると被告会社は被告主張のような事情の下に昭和二五年一〇月頃従業員の整理を断行することとなり同年一〇月一四日附を以て原告等を含む一部従業員総数約一〇五名に対して被告主張のような退職の勧告と同時に条件附解雇の意思表示をなしたこと、これに対して原告等の中原告等主張のように遠藤外一四名を除くその余の原告等は全部被告会社の申入どおり退職届を提出して(提出の日時の点はここでふれないでおく)退職金等を受領したもので退職届を提出しなかつた原告遠藤等一五名も条件附ではあるが後日退職金等を受領したものであることを認めることができる。
右事実だけから見ると原告等少くとも退職届を提出した原告等は被告の勧告に従つて任意退職し、両者間の労働契約は合意の上解約せられたものと解するのが適当であるように考えられる。
しかしながら原告等は被告のなした一〇月一四日附解雇の意思表示は共産党員又は同調者であるという外に何等の理由がなく無効であると主張し原告等のなした退職届の提出は右申入に応じてなされたものであること前認定のとおりであるので右解雇の意思表示が無効であるとすれば退職届の提出による合意解約も不成立に終ると解されるのでこの点について判断すると成立に争ない乙第一〇号証に証人谷口干雄、同細田平吉、同下堂園辰雄(第一回)同中江範親(第一回)同仙波佐市(第一、二回)同古田槌生の各証言を綜合すると被告会社には共産党川崎細胞が存在し昭和二三年頃から同二五年頃にかけての日本の労働組合運動に見られるように被告会社の経営方針に対して絶えず批判的立場に立ち従業員に対して会社攻撃の宣伝運動をなしており被告会社に起つた昭和二四年五月頃の泉州工場閉鎖問題同年一一月の越年資金運動昭和二五年三月から五月にかけての一万二千円の賃上運動等について活溌な反対運動を続け被告会社としてはその対処に苦慮したもので右各事件で反動運動に活躍した従業員は被告会社内から除外したい意向を強めるに至つていたが当時の労働情勢から直にこれを就業規則等によつて処置しかねていたところ昭和二五年八月頃から進駐軍の労働課長エーミス氏から被告等造船界の部門でも共産党員その他会社の経営方針に反対する者は所謂追放すべきだとの意見が出され新聞業界その他についても順次所謂レッド・パージが行われるに至つたので被告会社の関係首悩部ではこの機を逃さずとなし所謂レッド・パージを表面に持ち出すのは適当でないと考え被告主張のような整理基準を作成し密かにその準備を進め昭和二五年一〇月一四日被告会社の年中行事の運動会の予定日の前日而も同日被告会社の労働組合と団体交渉を持つていたのにもかかわらず、それにも諮らず突然に予め印刷しておいた書面で原告等を含む約一〇五名に対して被告主張のような条件附解雇の意思表示をなしたものであること。
一方被告会社の労働組合では昭和二五年一〇月頃所謂レッド・パージの行われんとする情勢を察知し本部からもそれに対する対策を構ずるよう指示されていたけれども当時の情勢としては共産党員なるが故の解雇はこれに対抗し得ないものとの考方が強く本件解雇の意思表示も実質的には所謂レッド・パージと考え十六日から二〇日頃にかけて被告会社と団体交渉を重ねていたが全面的には反対しかね、被告の主張する整理基準に該当する具体的事実の明示を求めたが被告は十分調査済と答えるのみでこれに応ぜず止むなく本件整理を承認するとの組合決議をなすに至つたもので解雇の申入を受けた原告等の多くは組合が本件整理を承認した以上被告会社に対して争うことも至難と考え而も被告としては退職金の外に特別の餞別金を支給するという方法を取つていたのでいずれもその意に反しながら生活上の必要からも被告の求める退職願を提出したものであること、本件整理の基準として被告は抽象的な二、三の事項を挙げているけれども解雇の申入を受けたのは共産党員又はその同調者と見られたものが大部分であり、それ以外に整理基準に該当する具体的事実の指摘を受けて解雇を申入れられたものはなかつたことをそれぞれ認定することができる。
右のような事実関係の下においては、被告のなした本件整理即ち集団的な解雇の申入は共産党員又はその同調者であることが同時に被告のいう整理基準に該当するものであると判断しない限り――当時の情勢として共産党員が被傭会社の経営方針に反対して被告のいう整理基準に該当する行為をなし勝ちのものであつたことは推認できるし被告訴訟代理人自身もその趣旨を述べているけれども右のような判断は当裁判所の採らないところである――他に解雇について整理基準に該当する具体的行為の存しない以上本件解雇の申入は何等の理由ないもので無効のものといつて好い。それであるのにかかわらず被告訴訟代理人は退職届を提出しなかつた原告遠藤等一五名に対して右の如き具体的事実の主張をなすに止まりその余の原告等に対しては円満退職なりとしてその主張立証をなさないものである。よつて被告のなした本件解雇の申入は他に整理基準に該当する具体的事実の主張立証なき限り所謂レッド・パージとして不当労働行為に該当するかどうかの問題を別にして原則として効力ないものと解すべきで、原告等がこれに対して仮処分の申請をなしたかどうか、退職願を提出して退職金を受領したかどうかの点にふれるまでもなく無効であると解するのを相当と考える。
なお右解雇の申入の無効の点を離れて、原告等が退職願を提出した事情について考慮して見ると証人佐伯得男、同野見重雄の各証言、原告北川実、同麻生守信、同貴田楢蔵の各本人訊問の結果を綜合すると被告会社は出来る丈円満退職の形で本件整理を行いたいとの方針から労働組合の申入に応じて退職願の提出日時を延長し退職金等を右願書と同時に交付することとしそれも会社の表門の前に受付を設ける一方組合の役員等を通じて退職願の取りまとめ方を図つたり等したこと、解雇の申入を受けた原告等はすべてその解雇は理由ないものとして争つていたのでその大多数はこれに対して直に解雇無効の仮処分の申請をなし反対していたが当時の情勢としては他に就職の機会もなく生活に困窮を来すもの多く止むなく退職金等を受領したい一念から退職願を提出したに止まり多くの原告等は失業保険金を受領する際にも解雇の申入に応じたものではないことを係員に念を押した上で受領の手続をなしたもので退職願の提出自体についても中には本件解雇の紛争に関連して拘束されていたため本人不知のままに家族又はその親族から提出されたにすぎない者も十名を上る状態であることを認めることができるので解雇の申入の有効無効の問題を離れても右のような事情にある本件においては退職願を提出した一事を捕えて合意解約なりとする被告の主張は到底採用する訳には行かない。
そこで被告の一方的解雇として有効かどうかの問題について判断することとする。
原告等は本件解雇は所謂レッド・パージとして憲法又は労働関係法規に違反し不当労働行為に該当し無効であると主張し前認定のように被告は抽象的な整理基準を挙げこれに該当する者の解雇であり、必ずしも共産党員なるがための解雇ではないと主張するけれども共産党員又はその同調者であることを整理基準に該当するものとして取扱つていたことは被告訴訟代理人の主張自体からも明かであり前述の坂口、細田、下堂園、中江各証人の証言からも認められるところであるので一応右のような思想信教等による差別待遇として本件解雇はすべて無効なるものと解し得られることが考えられるけれども被告としては単に共産党員又はその同調者の故を以て解雇したものではなく整理基準を定め右事実がそれに該当するものとして解雇する意思であつたことが明かであるから他に右整理基準に該当する具体的な行為の存する場合には本件解雇の意思表示は有効なものと解するのを相当と考える。
そこで原告等の中で果して整理基準に該当する者があつたかどうかの点について判断することにする。
成立に争ない甲第五号証の一乃至三、第七号証の一、二、証人下堂園、同中江の各証言によつて真正に成立したものと認める乙第六号証の一乃至九、第七、八号証、第九号証の一乃至三、右各証人、同古河幸雄、同河辺光明、同吉田俊夫の各証言に弁論の全趣旨を綜合すると、原告中村隆三、同須藤実、同村上文男、同日名克己、同谷口清治、同宮崎伍郎、同仲田俊明、同田中利治、同矢野笹雄、同西岡良太郎についてはいずれも共産党員として活躍していたばかりでなくその多くは労働組合の役職員の地位にあり前認定の越年資金運動一万二千円の賃上要求運動のときにも常に率先して会社の方針に反対して(1)デモ隊のリーダー格になつたり(2)職場大会でアジの音頭を執つたり(3)上司に面会を強要したり(4)度々職場を離脱したりして大体被告主張のとおりのような各具体的行為をなしたものであることを認めることができるけれども原告遠藤、同尾崎、同橋本、同市田、同赤田については上記の各証拠によつても同原告等が共産党員として党活動に活躍していたことは認められるけれども被告の主張するような整理基準に該当する具体的行為があつたとは到底認めるに足らずその他にこれを認めるに十分な証拠がない。退職願を提出しない原告遠藤等十五名を除くその余の原告等については共産党又はその同調者であるから整理基準に該当するという外にこれに該当すると認められる具体的行為については上記各証人の証言中該当者として数名乃至十名位は名前の出て来る者がいる程度でそれ以外に何等これを認めるに足る主張も立証も殆んどなされていない。
右のような次第で被告のなした本件解雇の意思表示は被告主張の整理基準に該当する具体的行為の存することの認定される原告中村等十名については正当で有効といえるけれどもその余の原告等については何等理由のないもので無効と解すべきものと考える。
(被告訴訟代理人は解雇については何等の理由を必要とせず自由になしうるものと主張するけれども本件については整理基準を定めそれに該当するものとして解雇したもので何等の理由なしに一方的に解雇したものではないので右基準に該当しないときにはその解雇の意思表示を無効と解するのが相当である。)
よつて原告中村等十名の請求は理由なしとして棄却すべくその余の原告等の請求は正当でこれを認容し民事訴訟法第八九条第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石田哲一 中村友一 土橋忠一)
(別紙)
第一準備書面(原告)
一、本件解雇の発生と労働組合の態度について
昭和二十五年十月十四日労働組合では午後二時から五時迄被告会社と労働条件等につき団体交渉を行つていたが被告会社からは席上本件の所謂「赤色追放」について一言ものべられなかつた。而も翌十五日は被告会社の年中行事である会社創立記念運動会が行われる予定で従業員の家庭はその準備に余念がなかつたものである。
しかるに被告会社では密かに準備した解雇「通知書」並びに「従業員諸君に告ぐ」と云う文書を午前八時頃から郵送していたのである。
組合執行部はこの会社の暴挙を知つて十五日執行委員会を開き会社と団体交渉をもとうとしたが会社は責任者不在と云つて果さず翌十六日漸く団体交渉をもつたが会社は全然誠意なく解雇の具体的理由をも述べなかつた。
而して解雇者に対しては会社は全然面接の機会を与えず具体的理由の説明並にこれに対する弁明の途を絶つばかりでなく、会社構内にある組合事務所えの交通をも拒否する有様であつた。会社のかような高圧的な態度をよう護する警察は会社の四囲をかため而も反動化した占領軍とこれに追随する政府の態度に残つた組合執行部は「この赤色追放は極めて高度な政治的或は思想的背景を有するもので労働組合がその機関に於て本質を論じ闘うことは現下の客観的情勢より判断して困難」なりとし組合としてはその反対闘争を放棄したのであつた。
被告第二準備書面三の組合の投票はかかる執行部の決定の賛否を問うたものであり十月二十日行われたのであつた。
二、被告第二準備書面二の円満退社について既述のように労働組合も本件解雇を妥当なりと考えたのではなかつた。況んや原告達は何れも不当違法な解雇として承認し得なかつたのである。
しかし組合の闘争力は崩れ元来低賃金で生活の困窮していた原告等は更にかような解雇が新聞等で広く宣伝された為借金取りのため責められる等進退極まり生存のためやむなく退職金等を受領したのであつた。
乙一号証の人員整理実施要綱記載の如く会社は退職を十月十九日迄申し出でない者は十月二十日付で解雇すると規定していたが、原告等の所謂辞職願は何れも二十日以後になされたのである。換言すれば解雇後に辞職願をだしたものであつて、これは全く生存の為金員を得る方便としてなされたものであり辞職の意思なきことは明かである。
これを要するに「円満退職」とは生存のためやむなく金員を受領したことを意味するにすぎず解雇や退職を承認したものではない。
三、所謂解雇基準該当行為について
被告第二準備書面六、七記載の事実中原告が日本共産党員であること、正当な組合活動をしたこと以外は全部之を争う。
これらの事実中、大げさな形容詞を除去すれば党活動と組合活動とになる。
原告等の党活動に違法があつたか、又組合活動に違法があつたか。もしその違法が従業員として職場秩序を乱すものであつたとすれば何故にその際就業規則によつて制裁を加えなかつたか。
既述のように寝耳に水の如く具体的な理由も述べず弁解の機会も与えず解雇したことはこれらの事由が針小棒大のネツ造であることを証するものである。
そしてこの記述―それは大部分組合活動に関連するものである―は解雇の不当労働行為であることを裏書くものである。
第二準備書面(原告)
一、被告は本件原告等に対する解雇は所謂レッドパーヂではないと云う。
(第三準備書面の五)
そして本件の解雇は民法第六二七条の規定する解雇権によるものと主張する(同上一、二)而して被告会社の就業規則の規定は右解雇権を制限しないと。(同上三)
二、就業規則は労働条件の基準を定める、而もその作成又は変更については労働組合等労働者過半数の意見をきくことを要する。(基準法九十条)
特に被告会社の就業規則は改正等につき労働組合と協議する事を約している。(規則八十五条)
かように労働者の意見が含まれている就業規則は労働契約の締結に際しては労働者に明示しなければならないし、就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約はその部分については無効となる。(基準法九十三条)
このことは民法第六二七条に拘らず就業規則に特別の規定があるときはその規定によるべきであり民法の規定する解雇権が制限されることを意味する。而して被告会社の就業規則(甲五号証)には解雇につき第十二章、第十一章に特別の規定を設けており、従つて民法第六二七条の解雇権は制限されていることはもとよりである。
従つて右就業規則によらず民法の規定による本件解雇は違法であり無効である。
三、尤も被告は本件解雇につき解雇基準なるものを出している。(第二準備書面五)
その基準は抽象的であり、その意味するところが明らかでないが被告も認めるようにこの解雇基準は就業規則七十七条第二号第五号ではない。
かような新しい解雇基準を突如一方的に設け、原告等の過去の言動を遡及して云々し解雇することは就業規則の規定を無視するものであり、違法であり、無効である。
四、かような新しい恣意的な基準が労働者を拘束し原告等の解雇を有効化するものでないことはもとよりであるが、被告の原告等につき右基準に該当すると認定した理由として第二準備書面六に述べているところを強いて就業規則にあてはめれば第七十七条よりは第七十三条の三、六、八号や第七十四条の二、三号に近いものといえよう。
然りとすれば何故に被告はその事由発生に際し就業規則のこれらの規定によつて解雇しなかつたのか。
被告の主張がこぢつけであり正当の理由なきことはこの点からも理解出来よう。
五、本件解雇の無効である理由
(イ) 本件解雇は所謂レッドパーヂである。
乙一号証の人員整理実施要綱によつても本件解雇が所謂レッドパーヂであることは明らかである。
日本国憲法下に於いてかかる解雇が許されないのは云うをまたない。
被告も現在ではこの主張をさけている。
(ロ) 就業規則によらない解雇である。
就業規則は解雇につき第十二章第十一章に規定を設け解雇権の制約をしている。
この規定によらない本件解雇は無効である。
(ハ) 本件解雇は不当労働行為である。
原告等は何れも労働組合の役員をしていたものであり、組合の活動分子であつた。
被告が就業規則の適用を廻避し時の風潮に便乗しレッドパーヂに名をかり原告等を解雇したのは労働組合の骨抜の陰謀であり本件解雇は悪質な不当労働行為であり無効である。
準備書面(一覧表についてのもの)(原告)
一、原告等の中仮処分申請をしたものは別表一覧表〔注、別表は省略〕の通りである。
仮処分申請書は昭和二十五年十月二十日提出したが代理人には十月十七八日中に委任している。
二、原告等の中退職願を出さないもの退職願を出したもののその年月日は夫々別紙表示の通りである。
三、原告等の退職金等の金員を受領した年月日は特に別表に記載したものの外は退職願の作成年月日の当日又はその数日後である。
四、退職金等の金員を受取つた事情は一般に共通して云へば武装警官参百余名と会社警備員百余名が会社の周囲をとりかこみ原告等の会社はもとより労働組合への接近をも禁止していた。
しかし労働組合は当初の断乎反対する方針を放棄し闘争しないことにきめたと云う。
裁判所に於ける地位保全の仮処分申請も早急に進行しがたい状勢であると云われた。
日頃赤字の状態にあつた原告等は相当の借金を負うていたが既述の様子が知れたので一時に請求され且融通がきかなくなつたかくて長期戦を覚悟しなければならなくなつたし金員の必要が緊迫になつたので此緊急状態をしのぐ為やむを得ず便宜退職願を出し金員を受取つたのである。尚仮処分申請をしていた人々は解雇不承認の意思表示は明白になされていると考えていた(仮処分申請は本案を出してから取下げた)。
五、尚備考欄には退職願が本人の知らぬ間に出されたもの、会社が復職さすとのキケイでとられたもの。
病気で特に困つて印を押したもの等を明かにした。
六、原告59伊藤から同67中西まで「岡田浦ぎせい者」は解雇に反対し会社構内に這入ろうとして不法侵入被告事件で大阪拘置所在所中強要されて捺印したものであり、又かような次第であつたので仮処分申請に参加出来なかつたのである。
第三準備書面(原告)
一、円満退職について
被告は昭和二十五年十月十四日付通知書を(乙十一号証)以て、退職を勧告し、円満に退職したものであると云う。しかし乍ら前記通知書によつても明らかである通り、条件付とは云へ期日十月二十日付を以てする一方的解雇通知である。この意思表示は詐欺強迫による場合のほか、これを取消、撤回又は修正出来ぬことは当然であり期間内に左様な撤回、修正もなされていない。
従つて二十日付を以てすでに一方的に解職されているのであり、原告等はこの解雇が無効であるとして争つているのである。されば右解雇以後に為された調印受領を解雇のときとする被告の主張は法律上全く無意味なものであり、異つた基礎事実に立脚するものである。
被告の第一並に第五準備書面等によると「二十三日まで受付を延期したところ二十三日迄に全部受取り」辞職願を「解雇の勧告に応じて提出したもので」“円満退職”であると主張するけれども被告自らが提示している乙七号証の公示の写真によつても明白な通り解雇の期日即ち二十日を毫も変更していないのである。
二、退職勧告期間内の退職申出について
退職勧告期間内に退職申出を為した者に就いても、各個人に於て之が退職申出は悉く詐欺又は恐迫に基くものであるから、本訴に於て之を取消す。仮りに百歩を譲つても、原告等の右行為は自己の生存権を守る為に止むなく為された緊急避難行為であつて真に退職を意図して為されたものでなく被告会社はその非合法を知悉し乍ら、原告等を解雇する事のみを目的として為された。解雇権の濫用であつて無効である。即ち若し本件解雇が被告の主張する如く企業の破壊防止(具体的な破壊活動)にあるとするならば、当然に懲戒解雇権を発動し得べきに不拘、被告会社は、名を企業破壊に籍り乍らその取扱を懲戒処分によらず逆に割増手当を支給し、その半面に於ては如何にも解雇権あるが如く原告等を威迫して調印の止むなきに至らしめたものである。
三、原告井手の場合
原告井手は岡田浦工場に働いていたが本件解雇に憤慨しその理由をきくべく工場内に入つたため侵入罪容疑で逮捕状が出され逃亡した。
しかし扶養家族が郷里にあるので送金しなければならないし自己の生活費もいるので原告竹田初代にたのんで給料日である十月二十八日賃金を受取りに行つてもらつた。(別紙勘定袋参照)
追而被告は十月十八日に支払つたと云つている。ところが会社は退職金を受取らねば賃金を渡さぬと云うので原告竹田は原告井手の退職金を受取つたと云う。
尚原告井手は昭和二十六年十二月大阪地裁で右事件で懲役六月執行猶予三年の判決を言渡された。
第四準備書面(原告)
退職願の存在は円満退職を証するか。
一、形式的にみれば退職願の存在は解雇の承認を証するものと云へよう。
しかし意思表示の解釈に意思主義をとるか表示主義をとるべきかは古くして新しい問題である。
取引の安全、動的安全保護を考へるとき形式的な表示主義が意味をもつ。
これに反し公平な保護、静的安全を考へるとき実質的な意思主義が意味をもつ。
商法的な分野に前者の考へ方が強く現れ身分法的な分野に後者の考へ方が強く現れるのはこれがためである。
二、労働法が一般市民法と異るのは形式的平等を実質的平等にまで高めようとするところにある。
即ち形式主義から実質主義へ従つて意思表示は表示主義でなく意思主義的に解されねばならない。
本件に於て退職願の存在は解雇の承認にならないことは既に主張したところであるが更に要約すれば
(イ) 解雇の違法無効を争う仮処分申請後これを取下げることなく維持しつつ退職願を出していること。
(ロ) 解雇の違法不当を争い工場内に侵入し刑事上の疑で拘留中に退職願が出されていること。
(ハ) 解雇に就いて具体的事由の説明もなく被告会社責任者との面会はもとより更に所属労働組合への交通をも拒否されている状態下で退職願が出されていること。
(ニ) 被告会社の指定した解雇の効力発生日時後に退職願が出されていること。
以上の諸事情を綜合すれば退職願の存在は原告等の解雇承認の意思を証するに足りないことが明白であろう。
原告等の前には解雇の違法無効を争うため長期且つ困難な年月日があり資金も貯蓄もない労働者である。原告等は生活費のため(原告等には当面した病気療養費のため、借金返済のためのものもあつた)やむを得ず金を受取るための手段として退職願を出したに過ぎない。
三、被告会社は原告等の解雇が不当違法であり到底原告等が納得しないものであることを熟知しておりために原告等との面接はもとより労働組合との連絡をも拒否していたのであつた。
尚被告も労働関係の意思表示の解釈についてその意思を尊重すべきものであることを認めていることは原告等が「円満退職」したと退職に円満を附加強調していることである。これは単に言葉尻をとらへる三百代言的詭弁でなく不用意に表現された労働法的感覚を露呈したものである。
(柳川判事等著判例労働法の研究 六一頁
〃追補〃〃 一四二頁参照されたし)
第一準備書面(被告)
一、本件整理に当り円満退職願を出して、退職しなかつたものの原告氏名は左の十三名であります。
遠藤忠剛 尾崎辰之助
中村隆三 須藤実
村上文男 日名克己
谷口清治 宮崎伍郎
仲田俊明 田中利治
橋本広彦 矢野笹雄
市田謙一
二、其他の原告等は何れも被告会社の勧告に応じ何れも左記辞職願を提出し
辞職願
私儀辞職致し度く此段御願申上ます。
昭和二十五年一〇月 日
右 <印>
所定の退職金、予告手当金(三十五日分)の外特に餞別金(三年未満一万円、五年未満一万五千円、十年未満二万円、十年以上二万五千円)をも受領して円満退職したものであるから今更かれこれ議論の余地なきものであることは既に判例の示して居る処であります。
三、尚当時被告会社と被告会社労働組合との間には何ら労働協約は存していなかつたのであります(当時は所謂無協約時代)から、本件整理については組合と何らはかる義務はなかつたのであります。然し会社としては組合に対し本件整理要綱を示し、組合の了解を求め尚且つ被整理該当者の氏名を組合に通告して、組合の意見を徴し異議あるときは申出づべき旨通告したる処、組合は全体投票の結果四一七〇票対八五三票を以て会社の整理を承認したのであります。
因つて組合より会社に対して昭和二十五年十月二十一日附を以て
記
一、特別整理は承認する
但し会社の言ふ整理基準に該当しないと思われる人達に対しては組合のあげる反証を資料として再調査の上考慮願いたいと申述べてきたものであります。
然り而して整理該当者の氏名を組合に通告し置きたるに対し組合より何人に対しても再調査の申込みがなかつたのでありますから個々の該当者全員について組合も亦了承したのであります。
四、円満退職願を提出せず解雇された遠藤等十三名は何れも登録されている日本共産党員であります。然し同人等を解雇したのはなにも共産党員であるとの理由ではありません。共産党員でないもの百余名をも解雇したことによつても右事実は明でありましよう。
五、今回の解雇の整理基準は
「会社再建に対し公然であると潛在的であるとを問はず、直接間接に会社運営に支障を与え、又は与えようとする危険性のある者、他よりの指示を受けて煽動的言動をなし、他の従業員に悪影響を与え、又はその虞のある者又は事業の経営に協力しない者等会社再建のため支障となるような一部従業員」を解雇することにしたのであります。
被告会社(以下単に会社と云う)は右基準に従い基準該当行為についての厳密なる調査を行い、基準該当者名簿を作成し、更に数次に亘つて会議を開催し慎重且つ詳細な検討を行つた結果前記十三名を之に該当するものと認定しました。
六、而して、会社が右基準に該当すると認定した理由は、橋本広彦を除く十二名は、何れも日本共産党川崎造船細胞の最高幹部として社内にいわゆるオルグをつくり、就業時間中頻繁に会合を催し、或は連絡を行い、或は文書、ビラを配布し会社の内外にあつて過激な宣伝をなし、職制を誹謗し事実を捏造流布して従業員を故意に不安に陥らしめ労働能率を低下させる等の行為が特に顕著であり、(右ビラ中に「革命か餓死か!人民政府か破滅か!」「平和的交渉を称えているのは会社の手先」「電気部長の野郎大きなツラして現場をホツツキ監督しやがる」等の激烈な文句あり)橋本広彦、矢野笹雄は全造船本部執行委員として直接、間接に前記不法行為を指導、煽動して右基準に該当する事が明であつたからであります。
七、尚基準該当行為のうち主なるものをあげれば次の通りであります。
(一) 昭和二十四年十一月組合が越年資金要求を提出するや、組合の正式指令によらずして労働時間中紊りに職場をはなれ、デモ行進、職場大会等を行い或は行わしめる等常に先頭にたつてその企画指導に任じていた。特に十二月十六日約五百名の組合員が昼休時のデモに引続き労働時間中に及んでも解散せず、更に綜合事務所前に於て職場大会を開催した後、保安課員数名の制止を聞かず事務所内に喚声をあげて雪崩れ込み、二階所長室前の通路一面に座り込み団体交渉を強要して聞かなかつたが、進駐軍代表部からの解散命令が発せられるに及んで漸く退去した。而してその退去に当り階段の壁、玄関の名札掛、タイムレコーダー、窓ガラス、便所の窓ガラス等を破壊するの狂暴をたくましうした。
又同日組合は会社に何等の通知をせず、且つ自らの規約を蹂躪して残業放棄を行つた(組合規約に依れば「同盟罷業は組合員の直接無記名投票により分会員総数の過半数以上の同意をえて決定する」とある)が之等の行動について前記の者は何れも常に指導的役割を果していたものである。
(二) 昭和二十五年三月から五月にかけて行われた一万二千円賃上要求に当つては前記の者は終始先頭にたつて指導し、紊りに職場を離れ或は他に職場離脱を煽動し、又労働時間中会合を催す等前述の如き不法なる行為があつたが更に「職場の監獄化反対」「首切り賃下げ反対」「川崎の労働者は八〇〇〇円ベースの低賃金の為飢餓におちいつてバタバタ斃れてゆく……」等事実無根のビラを社内は勿論市内に迄散布し、又「八五〇号船、九〇〇号船の工事の遅延は今次闘争の輝しい成果である」と揚言し、或は「軍事基地化反対」「植民地化反対」「吉田売国政府打倒」等のスローガンをかかげてストを煽動したものである。
八、(一) 遠藤忠剛
遠藤は尾崎、中村、市田等と共に川崎造船細胞(職員班)中の最有力幹部として常に指導的立場に立ち不法なる活動を行つていた事は前述の通りである。
尚本人は会社従業員としての資質に欠け、再三職場を転換して能力を発揮せしめるよう配慮したが何れの職場においても上長の命に従はずその職務を果すことを得ず、入党勧誘、アカハタ頒布等を労働時間中に行うは勿論会社内における大部分の時間を党活動もしくは私事のために利用する等の行為がたえず整理基準の各項目に該当する。
(二) 尾崎辰之助
遠藤に同じ
(三) 中村隆三
前述の通りであるが、本人は特に執行委員として不法なる争議行為の指導的役割を果していたが、昭和二十五年五月二十日一万二千円賃上闘争に当り、全金属、電産、尼崎自由労組等の応援を正門前に迎えるに際し、労働時間中各職場から約三百名の従業員を煽動してかり出し、仙波委員長、藤本執行委員の制止を聞かず応対せしめる等の不法な争議行為を指導し、その制止されるに当つて本件については中村が責任をもつ旨を言明
又本人は分会書記長の職にある事を奇貨とし、組合書記局を党活動の本拠とし就業時間中紊りに党員を集めて集会する等をほしいままにしたものである。
(四) 須藤実
須藤は村上、日名、谷口、宮崎、仲田、田中等と共に工員中川崎造船細胞の最有力メンバーで前述の如き行動をとつていたが撓鉄工場ポンプ室は彼等の集会場で労働時間中と否とを問はず集会して種々協議していた。職場離脱行為については上司が屡々訓戒を与えたが聞かず反つて同輩を煽動して上長に反抗する挙に出、仕事を妨げる事を日常の業務としていた。
尚本人は日本青年共産同盟カンセン班壁新聞の発行責任者で会社には「分裂におどる奴等は資本家の親エイ隊ともいうべき人事部のヤカラと鼻息を伺う掛長グループの一味」「低賃金政策をヨウゴ、ポツダム宣言の要求する民主的勢力の増大をおそれ、フアシズムを此の工場に打ち立てようとする奴等」「労働者は断圧され乍ら闘え、俺達(職員)は甘い汁を吸い資本家の忠犬ブリを発揮するという憎むべき番犬は日本民主化の敵……職場から裏切者、首切りの手先蚕動摘発運動をおこせ等の荒唐無稽、過激に亘る記事あり。
又一万二千円賃上要求に際し五月十三日第三現図場で行われた職場大会には造船部次長を強要して大会席上に連行、吊上げを行い一時間以上に亘り労働時間に延長するもやめなかつたが何れも本人等の首謀するところである。
(五) 村上文男
村上は日本共産党川細造船細胞届出の代表者で執行委員として宮崎、矢野、中村等と共に執行部内にあつて常に煽動的言動を以て他に悪影響を及す等解雇基準に該当する事については前述の通りであるが、特に昭和二十五年五月十二日午前一万二千円賃上闘争に当り労働時間中にもかかはらず三〇名―四十四名の従業員をひきつれ三回、二時間以上に亘り造機部長に面会を強要、部長不在の為回答不能となるや勝手に機械組立工員全員に退場命令を発するの暴挙をほしいままにし、更に同月十五日九時半労働時間中にもかかはらず職長及び組長をのぞく機装工場工員全員をひきつれワツショイワツショイの喚声をあげ造機部長室に侵入十時十分頃迄座り込みを行つた。又翌十六日外部よりの応援者を出迎える為、正門前に集る様作業中の工場に来て煽動しそれにより約三百名の者を職場離脱せしめる等の行為があつた。又同日午前十一時二十分頃全金属兵庫支部の者三名に当社工員バッチを佩用させて、許可なく工場内に侵入しているのを警備員に発見され退去を命ぜられたところ「昔の特高と変らぬ」と捨台詞を残して退去した。
又同闘争に前後して造機機械工場で最も重要なる機械であるホッピングマシンを停止させる事を他の党員と共に数回に亘つて強要し作業中止の止むなきに至らしめるという狂気の沙汰の行為あり。
(六) 日名克己
会社攻撃、国連軍攻撃等の激烈なビラ、文書を作成配布し、従業員を故意に不安におちいらしめ、職場離脱を行い、又之を他に煽動して連絡、会合を行う外、職場大会等常に第一線に立つて従業員を煽動、他の者と緊密な連絡をとつて会社の生産に支障を及す事をその使命と考えており解雇基準に該当する事は明確である。
尚本人は昭和二十二年十二月二十七日前田[言或]一、長谷川茂、川崎豊、上野山光三、寺谷清と共に扶桑鋼管摘発隊に参加し、検挙された。
又昭和二十四年五月十四日市役所で公安条例反対デモに当り矢田正男、須藤実と共に暴行犯で検挙されている。
(七) 谷口清治
事ある毎に従業員を煽動して仕事を妨げ許可なく掲示、文書の配布を行い、命令拒否、生産サボを指導その他職場大会にあつては故意に画策して労働時間中に延長せしめ、職場離脱を行い又行わしめる等会社の業務に支障を及す事を以て天職と心得ている典型的な人物であつて、一万二千円闘争に際しては造機部長に面会強要及びすわり込み事件の首謀者の一人であり、解雇基準に該当する事は明白な人物である。
(八) 宮崎伍郎
川崎造船細胞中の最有力者の一人、前述の通り不法活動の最も積極的な指導者であるが、最高幹部の一人として常に企画指導を以て任じ、事ある事に従業員を煽動、貸渡拒否、職場離脱、過激なるビラの作成配布、その他作業能率を低下せしめて会社に闘争を挑む事を指導典型的トラブルメーカーの一人である。昭和二十三年七月十五日大阪中の島公会堂に於ける共産党創立二十六週年記念「共産党の夕」に当りその功により徳球賞を授与されている。
(九) 仲田俊明
不法なる活動を行い解雇基準に該当する事前述の通りであるが、工場の掲示板に規則を無視して許可なく会社攻撃、国連軍攻撃等の激烈な掲示を行い上長の警告を何回受くるも遂に解雇に至る迄之を改めなかつた。
又労働時間中屡々職場離脱を行い、職場大会にあつては故意に之を延長して労働時間に喰い込ませる等の画策を行い、会社業務に支障を与える事を彼の使命としていた。
(十) 田中利治
昭和二十四年十月の電機部組編成替当時、会社の規則に反して無断で工場内掲示板に反対の激烈なアジビラを貼布し、課長の命を受けて之を取除いた掛員に対し他の者と共に之を脅迫した。又頻々と職場離脱を行いその為命じられた作業が予定の時期に仕上らず工事上種々の障害を来す事が屡々であり、且つ又、作業中に本或は印刷物を見ながら作業をつづける事が度々であつたので、その都度組長、担当掛員より注意を受け、特に職場離脱については厳重な警告を受けたが、解雇される迄毫も改めるところがなかつた。
電機部の貸渡し問題については先頭にたつて他人を煽動、遂に従業員をして止むをえず会社命令を拒否せしめる等の行為あり。又、組合活動に便乗して党活動に専念し、労働時間中電機部内は勿論造船、造機部に迄出歩き特に造機鑄造工場に於ては労働時間中に鑄造工場内の者と画策し、従業員を集めて党の宣伝を行う等作業の進行に支障を及す事が屡々であつた。
尚田中は日本青年共産同盟川造機関紙「スクラム」の発行責任者である。
(十一) 橋本広彦
全造船本部組織部長として各社の争議を指導すると共に川崎造船分会出身者として矢野笹雄と共に川崎造船細胞を率い職場離脱、命令拒否、生産サボ等を煽動した典型的なトラブルメーカーであり、造船統一委員会の指導者である、尚本人は全造船書記局細胞の最有力メンバーである。
泉州工場閉鎖当時全造船本部組織部長として泉州分会を指導し、組合員を煽動して泉州工場を不法に占拠させる等の暴挙を行はしめた。
(十二) 矢野笹雄
橋本広彦及び前記十一名に同じ
(十三) 市田謙一
川崎造船細胞のメンバー中最有力者の一人、会社の政策に悉く反対し会社の業務の運営に支障を及す事を以て彼の天職と心得て積極的不法活動を行つた事は前述の通りであるが、一万二千円要求の際の職場大会等に於て屡々「人民政府か死か会社の存在を否定する事によつてのみ労働者の生存あり」等常に激烈なる文句を以て他を煽動
昭和二十四年二月十三日の深夜第二本山寮分館に数名と共に許可なくして入場、寮生(細胞)と会談していたが寮友会長より文句をいわれ退散す。
昭和二十四年十一月、越年資金要求に際し職場離脱、不法行為の行われた際には市田は資材部掛長の職責に在るにも拘らず窓より半身を乗り出して手を振り大声をあげて職場離脱を煽動し、労働時間中の職場大会を継続する様激励した。
又党に関係のない掛員をして、労働時間中随意に使用し、嫌がるのを強いてアカハタを配布せしめていた。
第二準備書面(被告)
一、凡そ労務契約に於ては、使用者は其労務者との、又は労務者の属する労働組合との間の労働契約、若しくは労働協約の条項に違反せざる限り何時にても使用者の都合により法定の解雇予告手当を支払うことにより、労務者を解雇し得べく(民法第六二七条)、ただ其解雇が所謂不当労働行為に該当するとか、若しくは一般社会通念に照し、著しく解雇権の濫用と認められるときには、或は其解雇が無効となり得ることがあり得るのである。
二、原告等は何れも期間の定めなく雇傭されたものであり、当時被告会社と被告会社労働組合との間は所謂無協約時代であつたのであります。
(失効協約には、従業員を解雇するには組合の同意を要すとか色色制限があつたのでありますが、当時は之等の協約が失効していることを会社と組合との間に於て確認していたものであります。)従つて被告会社は本件解雇は第一項に述べた解雇権によつて解雇したもので、然も其の解雇権の行使については為念組合にも其の事由を通知して了解を求め組合も亦之を了承していることは既に述べた通りでありますから(第二準備書面)、解雇権の濫用等の事由も亦生じないことは議論をまちません。
三、被告会社には勿論就業規則はありますが、右就業規則には前述の被告会社の解雇権の制限をする様な規定はありません。
却つて規則第七十七条には二号として「やむを得ない業務上の都合による場合」五号として「第二号に準ずるやむをえない事由がある場合」には会社は従業員を解雇し得る旨明定しているのであります。
四、被告会社が原告等を整理するに至つた事情及其解雇基準については既に述べた通りでありますから茲に再説しませんが、組合自体が本件解雇を了承し、被解雇者各個人についても一人も異議を申述べ来り居らざるによつても如何に本件解雇が公正に行われたことを知る証左と云わなくてはなりません。
五、坊間、所謂レッドパージと云われている解雇は、労働協約其他に違反し之を超越し雇主が労務者を共産党員たること及び之が同調者たることのみを以て解雇したことを云うものと被告会社は考えています。
被告会社の本件解雇は、単に共産党員たることのみで解雇したものでないことは、非共産党員を解雇した数が遥に多い事実によつても明かであります。
第三準備書面(被告)
一、本件特別整理の必要性について
(一) 当時被告川崎重工のおかれた状態
1 敗戦により徹底的な打撃を蒙つた日本が自立するには、貿易を盛にして経済自立をはかる事が先決問題であり、そのため海運、造船業は日本再建のための再礎産業として公共的な性格の強いものであると世間から認識されていた。
2 昭和二十三年十二月経済九原則、同二十四年三月ドツヂ声明あり経済不況が深刻化してきた。
3 之等の事実に対処し強力に会社の再建をはかるため昭和二十四年三月綜合企画委員会を設置、鋭意合理化の線を推進する事にしたが、先づ泉州工場の閉鎖を敢行従業員二、四〇〇名中一、一〇〇名の本社転勤一、三〇〇名の人員整理を行い更に電機部、岡田浦工場の配置転換、人員整理をはじめ職制の確立、経理、賃金面の改善、設備、工事、材料面の改新等々会社再建の強力なる諸方策を実施した。
4 昭和二十四年十月企業再建整備計画が許可され、従来の川崎重工を解体し造船業一本として再発足する事になり、名実共に新会社として合理化の線を強力におしすすめねばならない事になつた。
尚、同二十五年八月新会社として川崎重工は新発足した。
(二) 進駐軍との関係
1 占領下の日本に於ては鋼船の建造は一切G・H・Qの許可を要しその干渉は厳重をきわめた。
2 昭和二十一年九月当社は賠償工場に指定され、機械、設備の移動集約等何れも思うにまかせず経営上きわめて不利な立場におかれると共に、賠償設備の管理保全についての責任をもたされる事になつた。
3 又直轄の進駐軍工場が存在していたのみならず、当社は軍の鑑船の修理を担当していた関係上阪神間の進駐軍事務所が当社内に設けられ、進駐軍の代表者が常駐して作業全般の監督をしていた。従つて彼等は当社の管理状況特に労使関係については強い関心を持ち、その為会社は従業員の怠業行為その他職場規律違反の事実に関し屡々警告を受けた。
4 以上の様な状態であつて被告川崎重工としては他の会社とは又別に特に進駐軍の意向に反しては事実上経営は不可能の有様であつた。
(三) 当時の労使関係
1 上述のような状況で、企業再建の為従業員の理解と協力が強く要請せられていたので、会社としては経営協議会等を通じ会社の現状や方針等を屡々説明していたにかかわらず、会社の真意は一部従業員に受けいれられるところとならず、職場秩序を紊す者がたえず、そのため進駐軍代表者から屡々厳重な警告を受けた、会社はその都度従業員に対しその旨を伝達して注意を喚起したが依然として改められなかつた。此の状態は二十四年の越年資金闘争、二十五年春の賃上げ闘争で一段と激化し、職場離脱、不穏文書の配布部課長のつるし上げ等たえまなく職場規律は維持されなかつた。之等の行為は就業規則で懲戒処分に附しうるが、当時の事情から直に懲戒に附する事は困難であり、いつかはひとまとめにして整理する時期がくるものと考えてその都度々々は行わなかつたが、平素の注意を怠らない様所属長に依頼していた。
二、整理基準
人員整理実施要綱通り
「会社再建に対し公然であると潜在的であるとを問はず、直接、間接に会社運営に支障を与え、又は与えようとする危険性のある者、他よりの指示を受けて煽動的言動をなし、他の従業員に悪影響を与え又はその虞れのある者又は事業の経営に協力しない者等会社再建のため支障となるような一部従業員」
之を要するに事業の経営に協力しない者、会社再建のため支障となるような一部従業員を指す。
三、整理該当者の選定
(一) 人事部としては職場秩序の維持についてかねがね強い関心を有していたので上述の通り屡々警告を発すると共に秩序違反者については平素の注意を怠らない様かねてから所属長に頼んでおり、事ある毎に部長会議等で連絡をとつていた。特に越年資金闘争や一二、〇〇〇円賃上闘争の際は所属長より文書或は口頭で人事部宛報告があつた。
(二) 人事部次長は昭和二十五年八月頃ぼつぼつ準備をする様人事課長に言い渡した。
(三) 人事課長は非協力者を選定基準として一三〇名乃至四〇名のリストを作成した。
(四) 之を部長会議等にかけ更に慎重審議の結果必要最小限度に止め一〇五名を選定した。
(五) 選定の基準は会社再建に支障を与える様な非協力者であつて共産党員というだけの理由で選定したものはなく党員でも残つている者がある。
四、整理の方法
(一) 出来るだけ任意退職をして貰うため、規定の退職金の外に餞別金をつけ退職を勧告し、勧告に応じ辞職願を提出した者にはそれとひきかえに退職金の外餞別金を支給した。
(二) 懲戒解雇を避け会社都合解雇とした理由
1 当時の労使関係の実情から就業規則違反だから直に懲戒処分を行うという様な事はなかなか出来難つた。
2 懲戒解雇は本人の経歴に傷がつくしなるべく之を避けたかつた。
(三) 解雇の日附
1 十月十九日迄を勧告期間とし、その間に辞職を申出たものは任意退職として餞別金を支給、申出なき者は二十日附を以て解雇する事とした。
2 勧告期間を二十三日迄延期した理由(解雇の日附は二十日附とし変更せず)は十八日の団体交渉に於て組合が「組合の意思を決定するには、委員総会並に大衆投票にはかる必要があるから、二十三日迄延期してほしい。組合としてはそれ迄辞職願を提出しない様にと解雇者にいつてある」ということで延期方を要望したので之をいれ、二十三日迄延期した。
(四) 以上の方法に依つた結果一〇五名中一六名を除き全員餞別金を受取り任意退職した。
五、エーミス勧告との関係
昭和二十五年九月下旬造船業の代表がG・H・Qのエーミス労働課長によばれ「企業内にトラブルメーカーが居ては企業の再建整備は不可能であるので之を排除する事が望ましい」という勧告をうけた。この勧告は当社に於てかねがね考えていたところと一致するものであつたので愈々整理を決意したものであつてあくまで会社の自主的立場に於て行つたものである。又前記第一項の(二)に於て述べた事情の下にある川重としては事実上この勧告に従わざるを得ざる状況にあつた事は自明の理である。
六、労働組合との関係及び組合の態度
(一) 当時労働協約はなく、組合と協議する義務はなかつたが、組合の協力を得る為に事情をよく説明し了解を求め、又組合の機関でも充分審議してもらいたかつた。
(二) その為十月十四日整理該当者に通知書を発送すると同時に組合に対し、人員整理実施要綱を送り、整理の趣旨、止むをえざる理由、人員等を通知し諒承方を求め十六日午前中団交を以て更に詳細説明する事をつけ加えた。
(三) 十六及び十八の両日、団体交渉をもちリストを手交して種々説明したが、席上会社は平素慎重に調査の結果作成したリストであるから間違はないと確信しているが、組合で不審な人があればそれにつき申出てもらえば虚心坦懐に再検討する旨回答した。
(四) 十九日の委員総会に於て絶対多数で之を可決、翌二十日大衆投票に於て、又絶対多数で本件整理を承認した。
(五) 二十一日組合は会社に対し正式に「本件整理を承認する。但し解雇基準に該当しないと思われる者に対しては組合のあげる反証を資料として考慮願いたい」旨の文書を提出した。
(六) 尚、組合として反証をあげ申出てきた者はない。
七、円満退職申出期間を前記の通り組合の申出により十月二十三日迄延期したので、組合は各員に対し組合の正式態度決定に至る迄は、退職願を提出せざる様、退職願提出方を差し止めていたのであるが、組合の態度が二十日の組合大会で絶対多数を以て会社の解雇を承認した為、任意退職者の始ど全部は二十三日迄に退職願を提出して円満退職したのである。
(イ) 十九日迄に提出した者 六名
(ロ) 二十三日迄に提出した者 六十二名
(ハ) 二十四日以降に提出した者 四名
(以上退職願の日付による)
八、被告は十月に工場内立入禁止の仮処分の申請をしたが、円満退職願を提出した者については取下げを行い、結局十月二十八日附で退職願を提出しない十六名及び岡田浦工場の五名に対して仮処分の決定があつたものである。
九、原告等の提出した仮処分申請が何日頃提出されたかは不明であるが当方に申請書が送達されたのは 月 日である。而して当方の申請した仮処分と相手方の申請した仮処分とは両立しないものであるので当方申請の仮処分が許可された本件に於ては相手方申請の仮処分が却下の運命にありたるものである事は議論の余地のないものと考える。
十、共産党員であつて解雇しなかつた者は十数名に達するが、現在会社の重要な職についている者もあり、其他同人等の社会的信用等を考えるときは其の氏名を公表する事が出来ない次第である。
但し、室谷治、水口道明の両名は解雇されなかつたが、「あく迄共産主義を信じ共産党員である事を名誉と考える。今後に於ても変はる事がない」と公言した者であるので右両名の氏名のみを記する次第である。
第四準備書面(被告)
原告
被告
右当事者間の昭和二十七年(ワ)第九二八号事件に関する昭和二十九年十二月八日附原告提出準備書面の附表につき左の通り弁論を準備します。
一、「仮処分申請者」の欄は相違なし
二、「退職願を出さないもの」の欄は相違なし
三、「金員受領年月日」の点については退職願提出者はすべて退職願提出と引換えに受領しているものである、然らざるものは被告の供託した金員をすべて受領している事に間違はないが、その年月日は不明である。
四、退職願提出日附については左記のものは不正確である。
不正確なものの氏名及び正確なる提出日附は次の通りである。
昭和二十七年(ワ)第九二八号事件
7 国本利男 昭和二十五年十月二十三日
9 青野日出男 昭和二十五年十月二十三日
10 笠原禎吉 〃〃
12 角谷一雄 〃〃
13 篠原正一 〃〃
16 平松一生 昭和二十五年十月二十一日
23 梅野浩司 〃二十二日
29 西村忠 〃二十日
30 久保春雄 〃二十三日
31 佐藤満 〃十九日
32 小山竹二 〃二十三日
33 中村義八郎 〃〃
34 本清甚助 〃〃
36 石川利治 〃〃
44 長谷川義雄 〃二十二日
46 村上寿一 〃二十三日
47 石野市太郎 昭和二十五年十一月十五日(十月五日より十月十九日迄公傷休業)
48 石田好春 〃十月二十三日
49 小黒栄一 〃〃
50 神岡三男 〃〃
52 露本忠一 〃十七日
53 窪園賢一 〃二十三日
56 浅田義美 〃〃
57 原光雄 〃〃
59 伊藤道治 昭和二十五年十月十九日
60 井手溢雄 〃十八日
61 竹田初代 〃二十三日
62 北井武男 〃二十五日
64 尾野昇 〃二十三日
65 麻生守信 〃〃
66 長尾彰平 〃〃
67 中西多喜夫 〃〃
昭和二十八年(ワ)第八六三号事件
1 高橋敏雄 昭和二十五年十月二十三日
2 森田武司 〃〃
6 北川実 〃十八日
9 船橋政雄 〃二十三日
昭和二十九年(ワ)第三五八号事件
2 元矢清作 昭和二十五年十月十九日
第五準備書面(被告)
一、本件に於て退職願を提出しなかつたものは
尾崎辰之助、遠藤忠剛、市田謙一、中村隆三、赤田義久、橋本広彦、村上文男、日名克己、仲田俊明、宮崎伍郎、須藤実、田中利治、谷口清治、矢野笹雄、西岡良太郎の十五名であります。右の内尾崎(東大)、遠藤(同上)、市田(京大)、中村(名古屋経専)、赤田(東大)、橋本(富山高校中退)の六名が職員であり、六名の職員はすべて大学又は専門学校の出身であつて之等の者は、幹部社員又は幹部社員として最も会社の経営方針に協力してもらうべき人であり、又会社としてもその将来を期待しているところの人である。
従つて右六名について今回の整理基準即ち会社再建に非協力なもの及びそのおそれのある者という事に該当するや否やに付いては左の事実によるものである。
二、整理基準該当行為
昭和二十三年頃から日本共産党川崎艦船細胞名で「ガントリークレーン」という機関紙が配布されはじめたので人事担当者は此の動きに注目し、現場にも調査を依頼すると共に配布されたビラは極力蒐集する様努めていた。
その後「スクラム」「壁新聞」その他各種ビラ「アカハタ」「前衛」等が相ついで細胞から配布され、特に昭和二十四年越年資金闘争や翌年春の一二、〇〇〇円賃上げ闘争の際に撒布されたビラ類はおびただしいものがあつた。
而してその内容は既に述べた如く「革命か餓死か!人民政府か!……会社首悩部は労働者には強いが吉田売国政府には鼠の様に弱い、会社幹部とその手先は日本を破滅に導くものである。」「日本民族の滅亡か、復興か!戦争か平和か!」「之が労働者をだまし之が労働者を暴力団と同様と見、之が労働者を馬鹿扱いにし、心の中で労働者を犬猫の様に思つている彼等の正体だ」「職場を豚箱にするな、シヨンベン位させろ」「職場の監獄化反対」「電機部長の野郎大きなツラして現場をホツツキ、カントクしやがる」「平和的交渉をとなえているものは会社の手先」「川崎の従業員は八、〇〇〇円ベースの低賃金の為、飢餓におちいつてバタバタ斃れてゆく」等々……過激なる文句をつらねて職制を誹謗し、同僚をそしり、事実を捏造流布して従業員を故意に不安におちいらしめるものが多かつた。
又「植民地反対」「軍事基地化反対」「吉田売国政府打倒」等の政治的スローガンをかかげてストを煽動し「八五〇号船、九〇〇号船の工事の遅延は今次闘争の輝しい成果である」と揚言し、又紊りに職場をはなれ、会合を催し同志と連絡を行う等たえず職場の秩序を紊す行為がたえず現場部長からも職場秩序維持の為には解雇も止むをえないとして除籍申請があつた程である。
以上の様な事実から日本共産党川崎造船細胞の活動は会社の再建に非常な障害を与えるものであり、人員整理実施要綱の整理基準に該当するものと認定して整理したものであつて、共産党員という理由で解雇したものではない。
而して赤田、橋本、西岡の外はすべて川崎造船細胞として正式に届出ているものであるから(橋本は全造船書記局細胞、西岡は加古川地区細胞にそれぞれ届出をしている)特別の反証なき限り細胞の行動につき責任がある事は当然といわねばならない。
三、尚個々につき整理基準の大要をのべれば次の通りである。
イ、赤田義久
昭和二十四年東大卒、同年入社、見習社員として労働課調査掛に勤務。二十四年の末頃職場委員に選出される前後から細胞活動に同調的な傾向が見えたので教育掛へ転勤を命ぜられた。
昭和二十四年の暮の身上申告書の「支持する政党欄」に「日本共産党」とあり、当時会社としては共産党の細胞活動対策に日夜苦慮している最中であつたので、かかる表明はその活動を自ら是認するものであり、幹部社員候補としての資質に欠け「非協力のおそれある者」と認めざるをえず解雇基準に該当するものと認定された。
ロ、橋本広彦
解雇当時、東京支店株式掛勤務、全造船書記局細胞のメンバー全造船は当社労働組合の上部団体であつた関係上、全造船書記局細胞と当工場の細胞とは有無相通ずる関係があるものと会社は認めていた。
同人は事ある毎に――例えば泉州工場閉鎖の時等――神戸或は泉州に来り当社の細胞と密接な連繋を保つて行動していた。
斯様な理由から当社の細胞と同様非協力のおそれあるものと認定したのである。
ハ、尾崎辰之助、遠藤忠剛
日本共産党川崎造船細胞の有力なメンバー
何れも東大出身、その学歴、年令からいつても高級職員であつて最も熱心に会社の方針に協力して貰はねばならぬ立場の人である。
然し乍ら両名共川崎造船細胞に当初から加入しており、会社の地位、経歴からみても細胞活動の指導者であると会社は認め、又衆目の見るところも同様であつた。
両名は就業時間中も屡々席をはづして行動を共にし、又アカハタを配布する等の事実があつた。
以上の点から両名は解雇基準に該当するものと認定したものである。
ニ、市田謙一
日本共産党川崎造船細胞の有力メンバー
昭和十四年、京大出身、解雇当時、資材部燃料木材掛長
昭和二十四年二月十三日の深夜、第二本山寮分館に数名の者と許可なく侵入、寮生(細胞)と会談していたが、寮友会長より文句をいわれて退散した。
昭和二十四年十一月越年資金闘争に際し、職場離脱、不法行為が行われた際に、資材部掛長の職責にあるにも拘らず、窓から半身をのり出して手を振り大声をあげて職場離脱を煽動、労働時間中の職場大会を継続する様激励した。
職場大会の都度、激烈な句調を以て会社の政策を批判し、共産主義革命の為、全従業員は結束挺身すべき事を強調して煽動、就業時間に及ぶも尚やめず、上長の制止によりやうやく演説をやめるという事が屡々あつた。その間所属長又は同僚は職制の長として又先輩或は友人として屡々忠告したが遂に改めなかつたものである。
ホ、中村隆三
日本共産党川崎造船細胞の有力メンバー
昭和十九年名古屋高商卒、解雇当時、人事課勤務
昭和二十五年五月二十日、一二、〇〇〇円賃上げ闘争に当り、全金属、電産、尼崎自由労組等の応援を正門前に迎えるに際し、労働時間中各職場から約三百名の従業員を煽動して狩り出し仙波委員長、藤本執行委員の制止を聞かず応対せしめる等の不法な争議行為を指導し、その制止されるに当つて本件については中村が責任をもつ旨を言明
又分会書記長の職にある事を奇貨とし、組合書記局を党活動の本拠とし、就業時間中紊りに党員を集めて会合を催す等の行為があつた。
その他不法なる組合活動、細胞活動につき直接、間接その指導に任じていたものである。
四、工員たる村上文男、日名克己、仲田俊明、宮崎伍郎、須藤実、田中利治、谷口清治、矢野笹雄、西岡良太郎については
イ、西岡を除き何れも日本共産党川崎造船細胞のメンバー、西岡、矢野を除き乙九号証(現場部長の申請書)の通りである。
ロ、矢野は昭和二十四年十一月の越年闘争及び昭和二十五年春の一二、〇〇〇円闘争の際は細胞の最有力メンバーとして細胞活動を指導、その後全造船本部に転じ解雇当時全造船教育部長を勤めていた。
同人は常に職場の工員を集めて煽動をする常習者で工員等の就業時間に就業することを妨げていた。又何か機会があれば表面的に工員を煽動して所謂アジ演説を為すを常としていた(河辺証言参照)
ハ、西岡良太郎
日本共産党加古川地区細胞
職場離脱の常習犯、就業時間中野田昂、広川等、露口昭次郎等と共に屡々細胞会議を開き又電気熔接工場に工員を集めて職場集会を開催、或は同志との連絡に職場をはなれる事が多く、上長よりの度々の訓戒、警告にも拘らず遂に改めるところがなかつた。
出勤常ならず而も始終会社に無断で欠席し(毎月四、五回以上)作業状態はきわめて悪く早じまい遅がかり等仕事に対する熱意が全然認められなかつた。
一二、〇〇〇円賃上斗争の際は須藤等と共に造船部次長の吊上げを行い、又常に裏面で連絡員、工作隊として暗躍し為に始終職場をはなれていた事は前述の通りであり、川崎造船細胞の細胞活動の一翼を担つて重要な役割を果していたものである。
第六準備書面(被告)
一、原告は原告中岡田浦工場関係者が円満退職したものではなく職制の圧迫、組合の欺瞞と強要に依り退職願を提出したと主張するが被告会社には原告の主張する如き事実は全然ない。
二、岡田浦工場にも本社の労働組合と独立した全日本造船労働組合岡田分会なる労働組合があつて従業員はみな之に加入していた。而して本件解雇については岡田浦労働組合としてその態度をきめる必要があるので、昭和二十五年十月二十一日本件解雇につきその可否を組合員にはかり大衆投票を行つた結果、賛成二二九票、反対四七票の大差を以て会社の本件解雇が承認されたのである。
以上の如く組合が既に承認している解雇につき不当解雇その他の議論の余地のない事は労働運動の常識である。
三、組合長木岡等が被解雇者宅を訪問して解雇を承認させたというけれども之は会社の関知せざるところである。おそらく組合の態度が前記の如く大衆投票に依り決定したので、組合の幹部として被解雇者に組合の方針を伝えたものと考える。
四、従来のこれら原告の主張によるも退職願が自己の意思に基き提出され、退職願提出者のみに与えられる餞別金をも受領している事は争のないところである。少くとも訴訟記録よりいうも本準備書面以前にはこの点に関する異議がなかつたものであるから被告としてはこの点に関する従来の原告の自白を援用する。
第七準備書面(被告)
一、原告は、解雇には正当な理由が必要であるという理論的前提のもとに、解雇を正当づける理由がないから本件解雇は無効であると主張するが、民法第六二七条第一項は「当事者カ雇傭ノ期間ヲ定メサリシトキハ、各当事者ハ何時ニテモ解約ノ申入ヲ為スコトヲ得」旨規定して解約の自由を宣明しているから、解雇が例えば著しく解雇権の濫用と認められる場合を除き理由のない解雇であつても直に之を無効とすることはできないのであつて、解雇の自由については、最近の判例も概ね之を支持しているという事ができる。
而して、近時労働法の制定によつても、僅に労働組合の正当な行為をした事を理由として解雇する事を不当労働行為として禁止している外は、すべて解雇事由の制限は労働協約又は就業規則に委ねているという事ができるのである。
本件解雇は、被告会社がこの解雇権に基き就業規則第七十七条第二号及び第五号により行つたものであつて、原告等の非協力行為の結果、会社の運営に支障を来し、原告等を企業の組織内にとどめおく事が、業務の運営に障害を与える様な本件の場合、当然本条の対象となるものであつて原告等を本条により解雇しても何等不当な処置とは言いえないのである。
尚、被告会社には当時占領軍の監督官が常時駐在して居り、船舶の建造にはいちいち連合国の許可を要して居つた特種事情があつた事又労働組合も本件解雇を承認して居り、且被解雇者につき其の全員の名簿を組合に渡し各個人についての組合よりの異議申立ての機会を与えたるにも拘らず異議がなかつた事等については既に述べた処であるからここには再説しない。
二、被告会社は整理該当者に通知書を以て退職を勧告したが、出来るだけ任意退職してもらう為規定の退職金の外餞別金を支給した事は既に証言によつても明な通りである。
而して遠藤外十四名を除き他はすべて乙三号証の如き辞職願を提出し所定の退職金と予告手当金(三十五日分)の外上記餞別金を受領したものである。
原告等は詐欺又は強迫により退職を申し出たものというが、そういう事実は全然なく乙一号証と相まつて辞職願を提出して会社から餞別金迄受取つた以上今更議論の余地なき事は幾多の判例の示すところである。(最近の判例としては福岡高裁二十九年(ネ)第五二三号事件御参照)
原告等は仮処分申請を行つているから異議を止めて退職金を受領しているというが、原告等の仮処分が何日頃提出されたかは被告会社には不明であり又かかる事実あるにもかかはらず辞職願提出に際し何等異議をのべず辞職願とひきかえに退職金、餞別金等を受取つたということは原告等の認めている処である。
本件解雇については、組合員の圧倒的多数による賛成の意志決定があつたところで、凡そ労働事件で組合が会社のとつた処置を是認した事実について、之が権利の濫用である等の問題となる事のありえざることは論をまたない。
従つて原告等が辞職願を提出し且つ退職金、餞別金を受領したのはその真意に即したものであつて、被告会社としては原告等の真意を疑わなかつたればこそ正規の退職金の外餞別金、予告手当金等を支給したものである。
その真意に即さず退職金、餞別金を受領したと主張する原告等本人の証言によるも受領した金円を何等返済する事なくすべて私用に費消しているので今更無効を主張する余地はないといわねばならない。